言葉とパンチライン

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日本のヒップホップ、日本語ラップとか、そういったものを書いていくブログにしようと考えている。ここで書いていく”そういったもの”が、日本のヒップホッピとか、ジャパニーズヒップホップだとか、日本語ラップだとか色々あって、それらに誰かや何かをカテゴライズするうえで起きる摩擦というのも承知している。まあ便宜的であったりこれらの語句を用いることの意図がある場合であったりするのであるが、このたびは日本語ラップである。

ツイッターで日本語ラップパンチラインを集めたbotなどを眺めている。あきらかに作った人の年齢を判断できるような偏り方を見せているものが多い。そんなものを見ながら

「あ~そうですね、パンチラインですね。」「これはパンチラインか?」などと考えていると、たまに製作者と感性もそのリスニングしているラップの範囲もあまりかぶらないようなものに出くわすことがある。

そういったbotの「おれはやるぜ」的表明のような知らない曲もしくは見ていないMCバトルの一部分を抜き出して、これはパンチラインですと言われてもパンチのある言葉かと言われれば、その感覚を理解するのは難しい。

パンチラインは話のオチにあたる部分という意味で辞書などを引くと載っている。ライターの丸屋九兵衛氏はパンチラインをキメゼリフととらえ数冊のキメゼリフシリーズの書籍を出している。

オチやキメゼリフをいきなりその部分のみを切り出して人に訴えかけるには、言葉自体の強度が必要なものだ。それは単語の選び方であったり、字にしたときのリズム感といったものであったり。名言botのに出てくるやーつの代表格、ニーチェあたりはすごいこと言ってる感はすごい(すごい)。だが、ニーチェもその出典元の本の内容があってこそのそれを象徴する一部分としての名言がある。

当たり前ながらラップのパンチラインというものもそれをパンチラインたらしめる曲があり、時代背景があり、またはそのラッパーそのものというものもあって然りである。言葉の集積が文であり詩であり、歌やリズムに乗る機能を与えられれば詞になる。詩と詞の曖昧な境界を彷徨いながら日々作られるラップミュージックの、言葉をパンチラインたらしめるものという140字では収まりきらないような、ここがすごいんです的なたわごとをブログにたまに書いていこうと考えているわけである。

 

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