【書評】”ラッセル・シモンズの成功哲学―ヒップホップ精神で成功を引き寄せる12の法則 ”を読んで感じた危うさ

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ヒップホップに興味がある者なら絶対にどこかで耳にする、Def Jam Recordings(デフジャムレコーディングス)。その創設者であるラッセルシモンズがセクハラで告発されて数か月たった。

ヒップホップの名門、デフ・ジャムのラッセル・シモンズへの止まらないセクハラ疑惑の経緯をたどる-rockinon.com

ラッセルシモンズの本にこんなものがある。

ラッセル・シモンズの成功哲学―ヒップホップ精神で成功を引き寄せる12の法則(2009年発)ラッセル・シモンズの成功哲学―ヒップホップ精神で成功を引き寄せる12の法則の表紙

この本を手にとったのは何気なくである。決して成功者の失脚をニヤニヤ眺めるためのつまみにするためではない。きっとそう。
伝説的グループRUN-DMCのRUNの実兄、ラッセルシモンズといえばデフジャムの他にアパレル会社のファットファームなど事業を成功させて巨万の富を築いた。その成功の哲学を記した本である。デフジャムがなければ今のヒップホップがなかったといえば言い過ぎだが、少し違うものになっていたのはたしかだろう。
本書にラッセルシモンズは特別なことは書いていないという。世の中に普遍的に存在し皆知っていることを改めて自分の経験に従って書き記した著書と述べている。そう、いわばよくある自己啓発本である。
簡潔に言えばこうだ

  • やりたいことを妥協せず貫く
  • 誠実であれ
  • そのために心を清らかに(手段としてヨガを推奨している)

この時点ではあまり突拍子もないことは書いておらず、ラッセルも特別なことは何もしていないと述べる。ここらへんで嫌な予感はした。その理由はあとで書く。
やりたいことを貫いた例として、RUN-DMCのSucker M.C.’sをあげていた。

トラック、リリックともに数え切れないほど引用されるヒップホップクラシックだ。この曲のトラックはほぼDMXというドラムマシンの音のみで構成されており、リックルービンら周辺の人々からはベースを入れるべきだとか、このままじゃ物足りないといった意見が続出する。ラッパーズデライトがヒットして皆ヒットさせるためにはディスコっぽさのあるビートではないといけないと業界では考えられていたのだ。しかし、ラッセルシモンズはこのDMXのドラムでほぼ構成されたビートでいくことを曲げなかった。結果として、Sucker M.C.’sはRUN-DMCと共に伝説になった。
このSucker M.C.’sはたしかに革新的な曲で、楽曲ができるまでのこういったやりとりは非常に興味深い。
一方、やりたいことを貫いただけではだめで、白人ラッパーのヴァニラアイスが皆からそっぽを向かれてしまったことにふれ、彼は才能があったが嘘をついていた、誠実でなかったからだと分析している。白人だからでも才能がないからでもなく、嘘をついたから相手にされなくなったと分析した。
ラッセルシモンズ自身も自分が誠実さを失えば一夜にして転落してしまうと顧みている。

本書における成功の定義であるが、大金を得ることではなくあくまで自分のやりたいことを貫くことであるとしている。大金を得ることができたのはあくまでやりたいことを貫いた結果であり、大金を得てもファットファームを売却したあとはラッセルシモンズは虚しさを感じてしまったらしい。
大金を得ていながら金が大事ではないと言い続けるラッセルシモンズはとにかく言い訳が目立つ。即物的価値観の支配するヒップホップ業界に身を置きながらこの理論を続けるには仕方のないことかもしれないことではある。そのラッパーたちの即物的価値観は、ゲットーでの生活をしていた本能だから仕方ないという。
そして、ラッセルシモンズのアメリカンドリーム仲間のドナルドトランプについて、あんなに金儲けしか考えていないが彼は金儲けをある種のアートとして捉えているからOKであり誠実なのだそうだ。
また、RUN-DMCもWalk this wayというだいぶコマーシャルなものに寄った曲を出していたという批判には、あれはたしかに本当にやりたいことではなかったと振り返る。

しかし、リックルービンがどうしてもしたかったことだと述べ、またファンも本当にやりたかったことではないと理解していたという。
2005年のRUNのソロアルバムについてはあまり売れなかったが、売れることが目的ではなかったしその後のキャリアも守れたからOKであったという(私個人としては地味なアルバムだった気もするけど好き)。
冒頭でラッセルシモンズは自身は多くの失敗をしたし、これからもするかもしれないと述べるが基本的に反省はしない。ファットファームを売却した際に大金を手にしたが虚しさが残ったということくらいか。

ラッセルシモンズは普遍的に存在することを書いているだけだと述べるが、その普遍的に存在するものの認知が生存バイアスによりどんどん歪んでいく様子がこの本からは見て取れる。
この本を手に取る者はその多くが自分のやりたいことが明確でないかもしれない。そんな者達には、時給10ドルの看護師(医療の専門職でこの給与は驚きだ)からの相談で、成功したいけど何をすればいいかわからないと相談を受け、ラッセルシモンズは、今の仕事を誠実に頑張れば夢をつかめる(もちろん大金を得ることではなく、素晴らしい何か)という。
他方、仕事がないなら道路を掃除してみろ、そうすれば誰かが認めてくれると言いさすがにこれは突拍子もない話に思えるかもしれないとしているが、デフジャムに喜んでタダ働きをしていたスタッフが成功をつかんだとして現実的なことだという。デフジャムはそこらへんの道路か。
ラッセルシモンズはこの、誠実に頑張れば夢(もちろん大金をつかむこと以外の何か)を絶対に手に入れることができるアメリカンドリームの国で、それをつかむことができない人が多いのを残念に思っている(過去と違い図書館の扉が開かれているのに誰も行こうとしないことを嘆いていたのは私も本当にそう思う。)。

移民のことに触れた部分において

中国の移民がアメリカを何と呼んでいるか?”美しい国”だ。
(中略)
アメリカに来ても、賃金の安い工場で働くか、わずか数ドルのチップをもらうために食物を配達して一生を終えてしまう。私たちよりずっとつらい仕事をやっている。それでも彼らは喜んでやっているのだ。
なぜか?それは苦労の先にチャンスが見えるからだ。ほんの一瞬でもチャンスが見えるアメリカは、彼らにとっては美しい国なのだ。

と述べる。これは「日本で働けるなら喜んで低賃金で過酷な仕事を学びにくる」ということで様々な問題を引き起こす外国人技能実習制度を思い出させないだろうか?新自由主義の中で己の力で成り上がった成功者は、時折すべては自分次第であると言い、身の回りの諸問題を考えさせる能力を奪うことがある

また、それはその問題に立ち向かう者に身勝手に託してしまうことも同じだ。
アメリカンドリーム、ヒップホップドリームへの憧れは時に無意識のうちに自分の人生を預けてしまうが、自分の人生は自分の物だし、自分の言葉を持つ重要さといった当たり前のことをこういった形でこの本は認識させてくれるのだ。
少し若いときにこの本を読んでいたら、ビギー他ヒップホップのレジェンドの名前やデフジャムの興味深い歴史をもとに語られる自己啓発本的哲学を無批判に受け入れていたかもしれない。

ラッセルシモンズに対するセクハラの告発による失脚は、ラッセルシモンズが誠実さを失った結果であろうか。ラッセルシモンズは基本的に身に覚えがないと弁明している。
仮にラッセルシモンズが無実であったとすれば、いわれなきことでアメリカンドリームが潰えてしまったことになる。だがしかし、ラッセルシモンズがいうには様々な問題をかかえてはいるが、アメリカはフェアな社会だと、頑張れば報われると。そして正義が無視されたときは立ち上がれと。

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